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長いお別れ

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闘病中の父が亡くなりました。
集中治療室にはおりましたが、
歩くリハビリや飲み込む練習も始めて、少しなら話も出来ていたので、急変が信じられず。
バタバタと体は動いていても夢の中みたいで。
喪服を取りに戻った時には、思わず病院最寄りの駅で降りそうになり、ダンナに「ここじゃないよ」って言われてハッとしたり。

1月末の入院時には元気でした。
動脈瘤破裂の心配を無くしたいと両親が決めた手術でした。
心臓のカテーテルの手術は成功したものの、その後腸閉塞、敗血症と乗り越え、誤嚥性肺炎、最後は間質性肺炎が死因となりました。

悪くなってからは余計に母がパニックになり、キーパーソンを母から交替。病院からの連絡は私にあり、処置の同意も私でした。仕事中に連絡が入るようになり、夜中に電話が掛かるようになるとさすがに気が気じゃなく。
最期は3日ほどまともに眠れず。
人工呼吸器を付けても良いかと22時半、0時、3時、5時と立て続けに連絡が。3時には様子を見ると言っていた医者も電話での承諾でいいので人工呼吸器を付けたいと言われOKして朝方の電話では面会に早く来て欲しいと言われる。慌てて向かうと血圧が50なく、幸いにも人工呼吸器のお陰でそんなに辛そうには見えなくて父はずっと麻酔で眠らされてたので表情は穏やかで。
血圧が90くらいまで上がり、家族が泊まる程では無いと思うと主治医に言われたので、翌日の面会に間に合うように来るからと一旦帰宅。
その日、夕飯を食べ終わった頃に病院から一報。
心拍少なくなってきたんで、今から来れますかと。
急いでも二時間掛かるけど慌てて向かう中、京都駅手前で亡くなったと連絡を貰う。
間に合いませんでした。

それからは母が家に戻って死装束を取りに行ったり、エンゼルケアや霊安室への移動、1時には病院を出ないといけないと聞きタクシーの手配。
葬儀場の霊安室まで運び、自宅に戻り気がつくと3時半。
翌朝から葬儀の打ち合わせ。葬儀場に泊まって翌日の葬儀と火葬、自宅で仕出し屋にお願いして足洗の食事。と、ようやく色々済ませて帰宅。
自宅でようやくまともに眠れました。
翌日は私はゆっくり寝てましたがダンナは1人山へと(笑)バイカオウレン咲いてたようです。今度は自分の目で見てみたいですね。

佳いニュースは、10日に2人目の孫が誕生、凪と言います。宜しくお願いします。この時は上の孫を見る人が居なくて私が仕事を休ませて頂きました。今月はあまり出勤してない嘗てない状況に。
ご協力いただき職場の皆様にも感謝です。
葬儀場が寒くて全員風邪引きに。
職場復帰する前に良くなって良かった。
咳に鼻水にひどかったんですよね。